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東京高等裁判所 昭和45年(う)2945号 判決 1971年8月10日

本籍

神奈川県厚木市旭町三丁目二千七百四十九番地

住居

同市同町三丁目四番二十一号

会社役員

池谷嘉三郎

大正四年七月二十九日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和四十五年九月二十五日横浜地方裁判所が言い渡した有罪の判決に対し、被告人から適法な控訴の申立があつたので、当裁判所は次のように判決する。

主文

原判決を破棄する。

被告人を罰金四百万円に処する。

右罰金を完納しないときは、金弐万円を壱日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

原審に於ける訴訟費用中証人塩原利武に支給した分は被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は弁護人柴田次郎提出の控訴趣意書及び控訴趣意補充書に記載されたとおりであるからここにこれを引用し、これに対し次のように判断する。

控訴趣意の一(補充控訴趣意第一点)に付て。

被告人に対する本件公訴事実は、被告人は、武相砂利株式会社(以下、単に会社と謂う)代表取締役吉村武雄(以下、単に吉村と謂う)から会社の売上除外分の収入に対する一定割合の金額を受領する等してい乍ら、之ら所得を申告せず、虚偽の所得税確定申告書を提出する不正行為に依り自己の所得税を免れようと企て、厚木税務署に於て、同税務署長に対し、

(一)  昭和三十八年分の真実の所得金額は二千三百七十万六千四百十二円、之に対する所得税額は一千一百三十三万四千二百三十円であつたのに、之を秘し、同三十九年三月十日、同三十八年分の所得金額ぱ二百八万八千一百円、之に対する所得税額は十四万三千二百円である旨の過少の所得税確定申告書を提出して、右真実の所得税額との差額一千一百十九万一千三十円の所得税を免れ、

(二)  同三十九年分の真実の所得金額は三千四十万三百三十七円、之に対する所得税額は一千五百十三万六千九百十円であつたのに、之を秘し、同四十年三月十二日、同三十九年分の所得金額は二百八十八万七円、之に対する所得税額は二十五万四千一百四十円である旨の過少の所得税確定申告書を提出して、右真実の所得税額との差額一千四百八十八万二千七百七十円の所得税を免れ

た、と謂うに在るところ、原判決が訴因変更手続を履践しないで、被告人は、吉村から受領して自己の所得と成つた後記各金員が、会社に於ても所得として所轄税務署長に申告しない所謂簿外金から出金されたものであることを知り乍ら、厚木税務署に於て、同税務署長に対し、

(一)  昭和三十八年中に吉村から受領して自己の所得と成つた一千九百十四万六千七百五十円、之に相応する所得税額九百九十三万五百六十円に付て、同三十九年三月十日、自己の同三十八年分所得金額は二百八万八千一百円、之に相応する所得税額は十四万三千二百円である旨記載した内容虚偽の所得税確定申告書を提出し、以て不正の行為に依り九百七十八万七千三百六十円の所得税を免れ、

(二)  同三十九年中に吉村から受領して自己の所得と成つた二千四百六十五万八千四百七十六円、之に相応する所得税額一千三百四十八万七千二百二十円に付て、同四十年三月十二日、自己の同三十九年分所得金額は二百八十八万七円、之に相応する所得税額は二十五万四千一百四十円である旨記載した内容虚偽の所得税確定申告書を提出し、以て不正の行為に依り一千三百二十三万三千八十円の所得税を免れ、

た旨の事実を認定し、起訴に係る各年分の免れた所得税の内、右認定以外の部分は、詐偽その他不正の行為に依り之を免れたことを証明するに足りる証拠が無いとしていることは、記録及び原判決に照らし明白である。

そこで所論に鑑み考察を加えるに、

一、所得税脱税罪を規定した所得税法第二百三十八条第一項(同法に依る改正前の所得税法第六十九条第一項)に謂う「偽り(詐偽)その他不正の行為」とは、同税逋脱の意図を以て、その手段として、同税の賦課、徴収を不能若しくは著しく困難ならしめる様な何等かの偽計その他の工作を行なうことを謂うものと解すべきであるから(昭和四十二年十一月八日最高裁判所大法廷判決、最刑集二一巻九号一一九七頁以下参照)、斯る「偽り(詐偽)その他不正の行為」を伴わない所謂単純不申告(所得税法第二百四十一条、改正前の同法第六十九条の四各参照)の場合には、仮令同税逋脱の意図による時と雖も、叙上所得税脱税罪は成立せず、又単に誤算、忘却等の不注意に因り、所得税確定申告書に記載すべき所得の一部を遺脱した所謂単純過少申告の場合には、右犯罪の故意を欠き同罪は成立しないが、右判例は、同罪の構成要件である「偽り(詐偽)その他不正の行為」の意義に付て、苟も所得税逋脱の意図を以て、その手段として、同税の賦課、徴収を不能若しくは困難ならしめる様な何等かの偽計その他の工作を行なうものである限り、その種類、態様の如何を問わない趣旨に出たものと解せられるので、虚偽の収支計算書の提出、二重帳簿の作成、正規帳簿の秘匿若しくは之えの虚偽記入等、特別の工作を行なうことは固より、斯る特別の工作を行なわず単に所得を隠蔽し、之が課税対象と成ることを回避すべく、所得金額及び之に相応する所得税額を殊更過少に記載した内容虚偽の所得税確定申告書を政府に提出することも亦右「偽り(詐偽)その他不正の行為」に該当すると解して妨げないところ、本件公訴事実は、その記載に徴すると、前叙の所謂単純過少申告の事実を摘示しているのではなく、被告人が自己の所得税を逋脱する意図を以て、その手段として、真実の所得を隠蔽し、之に対する正当な所得税の賦課、徴収を免れるべく、所得金額及び之に相応する所得税額を殊更過少に記載した内容虚偽の所得税確定申告書を所轄税務署長に提出し、以て不正の行為に依り、正規の所得税額に付き所得税を免れた旨の事実を摘示しているものと認められるから、前叙所得税脱税罪の訴因を明示するに付て何等欠けるところはないと謂うべく、

二、本件公訴事実及び原判示事実が共に、右所得税脱税罪の構成要件に該当する具体的事業として、被告人が厚木税務署に於て、同税務署長に対し、

昭和三十九年三月十日、同三十八年分の所得税確定申告書を、

同四十年三月十二日、同三十九年分の所得税確定申告書を

夫々提出するに当り、右各年分の真実の所得を隠蔽し、所得金額及び之に相応する所得税額を殊更過少に記載した内容虚偽の所得税確定申告書を提出し、以て正規の所得税額に付き所得税を免れた旨の事実を摘示していることは一見して明白であるから、公訴事実の同一性が害せられていないのは勿論のこと、

公訴事実中「被告人は、吉村から会社の売上除外分の収入に対する一定割合の金額を受領してい乍ら」なる旨の摘示は、その点を捉えて被告人に「詐偽その他不正の行為」が有つたとしているのではなく、被告人が右税務署長に提出した各年分の所得税確定申告書に記載すべきであつた事実の所得の出所乃至態様、延いては本件所得税脱税罪を犯すに至つた経由を表現したものに他ならず、右の摘示は、同罪の訴因として特定、明示しなければならない事項には属せず、

又、原判示事実中「被告人は、吉村から受領して自己の所得と成つた、昭和三十八年中の一千九百十四万六千七百五十円及び同三十九年中の二千四百六十五万八千四百七十六円が、会社に於ても所得として所轄税務署長に申告しない所謂簿外金から出金されたものであることを知り乍ら」なる旨の摘示も、右同趣旨で判示されたものと解せられるから、

原判決が叙上公訴事実の摘示内容を原判示事実の如く変更して認定するに当り、訴因変更手続を履践する必要は更に無いと謂うべく、

論旨は凡て前提を欠き採るを得ない。

控訴趣意の二(補充控訴趣意第二点)に付て。

一、原判決は、会社の行為と被告人の行為とを混同している旨の主張に付て。

所論が既に前提を欠くことは、控訴趣意の一(補充控訴趣意第一点)に対する判断の項、特にその二に於ける説明に依り明白である。なお、被告人に於て、自己が吉村から受領した昭和三十八年中の一千九百十四万六千七百五十円及び同三十九年中の二千四百六十五万八千四百七十六円は、会社が会社の所得として所轄税務署長に申告しない所謂簿外金から出金されたものである事実を知悉していたことは、大蔵事務官の被告人に対する質問顛末書(同四十一年二月五日付、記録第22号、九〇二丁以下)及び被告人の検察官に対する供述調書(同年五月十八日付)に依り認め得るところでもある。

論旨は採るを得ない。

二、被告人が吉村から受領した昭和三十八年中の一千九百十四万六千七百五十円及び同三十九年中の二千四百六十五万八千四百七十六円は、何れも、被告人が会社経営の為、現在価格数千万円に騰貴している被告人所有地約二千一百坪を僅か二百五十万円で処分し、その売得金を会社に提供したことに対する補償金であつて、被告人が会社再建の為努力したことに対する報酬金ではないから、所得税の課税対象には成らない旨の主張に付て。

記録、就中、大蔵事務官の被告人に対する質問顛末書(前掲昭和四十一年二月五日付の他、同四十年十一月十五日付)、その任意性に疑が有るとは認められない被告人の検察官に対する各供述調書、吉村武雄の検察官に対する供述調書(同四十一年五月十三日付)、原審第九回公判調書中の被告人の供述、同第十七回公判調書中の証人吉村武雄の供述に依れば、

(一) 被告人は、昭和二十七年会社設立以来、予ねて別懇の間柄に在つた吉村の懇請に依り、物心両面に亘つて会社の経営を援助し、同三十年五月頃会社が経営に行き詰つて倒産するや、吉村並びに会社債権者及び会社従業員一同に請われて自ら会社再建の衝に当り、無報酬で且自己の殆ど全財産を会社に投入して再建資金を調達する等、寝食を忘れて会社再建の為献身的努力を捧げ、その甲斐有つて同三十四年末には、会社債務を完済して経営を軌道に乗せ、折柄の好況と相俟つて業績の向上が期待され得る迄に成つたので、同三十五年一月頃会社経営の実権を創設者である吉村に引き継いだこと、

(二) この間被告人が会社に対する貸付金名義で会社に投入した金員は総額五百八十四万五千円で、その内四百三十四万円は、同三十四年末迄に会社から元本に付て弁済を受けたが、残元本百五十万五千円及び総元本に対する利息は、同三十五年一月頃の経営権引継当時、会社との縁が切れない様にする為、未払の儘特に残されてあつたこと、

(三) 右貸付金の内二百五十万円は、相模原の被告人所有地約二千一百坪を処分した売得金であるが、該土地の価格は右経営権引継当時数千万円に騰貴していたこと、

(四) そこで右三十五年一月頃被告人が会社経営の実権を吉村に引き継ぐに際し、その代償として、

(1)  被告人が会社経営の為二百五十万円で処分し、その売得金を会社に投入した相模原の被告人所有地約二千一百坪は、その後価格が騰貴し、現在坪当り三万円としても六千三百万円には成ること、

(2)  被告人の会社に対する貸付金総元本五百八十四万五千円に対する未払利息を月利一割で複利計算すると可成の金額に達すること、

(3)  被告人は会社創設以来その経営を物心両面に亘つて援助し、殊に会社の倒産以後は吉村等一同に請われて会社再建の衝に当り、無報酬で寝食を忘れて再建の為献身的努力を捧げ、その甲斐有つて、会社の経営基盤が確立するに至つたこと、

(4)  斯くて会社の経営は軌道に乗り、折柄の好況と相俟つて増益が期待され、その資産評価額は一億円乃至二億円に達し、年間純益は五千万円以上と見込まれたこと、

等の諸事情を勘案し、(1)被告人が前記土地を手放さないでいたならば現在保有し得べき時価相場に依る資産額約六千万円、(2)被告人が受け取り得べき前記貸付金総元本に対する月利一割の複利計算に依る未払利息、(3)被告人が会社再建の為無報酬で捧げた献身的努力に対する謝礼、を不可分的に包括した趣旨の七千万円程度を、今後数年間に亘り毎年会社の所謂簿外金である売上除外分収入金の中から之に対する一定割合(二十五%、但し、昭和三十九年三月以降同年八月迄は二十%、同年九月以降は十%に夫々改定)を以て算出し被告人に支給する旨吉村と被告人との間に話合が纒まつたこと、

(五) 然し、右七千万円と謂う金額は一応の目安であつて、会社の売上高の多寡に応じて毎年の支給金額、延いては支給期間(支給の終期)が変動し、若し会社の業績が不振に陥つた場合には最終的な支給総金額が七千万円に達しないことも有り得べき旨の誤解が存したこと、

(六) 被告人は、右話合に基づいて爾来毎年吉村から会社の売上除外分収入金の分配を受け、昭和三十八年中には一千九百十四万六千七百五十円、同三十九年中には二千四百六十五万八千四百七十六円を受領したこと

が夫々認められ、記録を精査し且当審に於ける事実取調の結果に鑑みても、叙上認定を左右するに至らず、なお、前掲原審証人吉村武雄の供述中には、被告人が前記土地を処分した売得金を会社に貸し付けた当時から既に、会社は将来被告人の為該土地を買い戻す資金を給付する旨の話合が出来ていた旨の供述部分が存するが、右は爾余の各証拠に照らし措信し得ない。

してみれば、被告人が昭和三十八年中及び同三十九年中に吉村から受領した原判示各金員が所論の如き補償金そのものであることを前提として、之が所得税の課税対象には成らないとの論旨は到底容認し難く、該金員は正しく被告人に帰属する経済的利益であるから、之が非課税と成るべき法令上別段の理由の認められない本件に於ては、所得税の課税対象であることに疑を容れる余地は存しない。

三、被告人には所得税逋脱の意図が無く、単に所得金額を過少に申告したに止まる旨の主張に付て。

記録、就中、大蔵事務官の被告人に対する質問顛末書(前掲昭和四十一年二月五日付)及び被告人の検察官に対する各供述調書に依れば、被告人は、昭和三十八年中及び同三十九年中に吉村から受領した原判示各金員が前段認定の趣旨の金員である以上、それは自己の右各年分の所得であり、所得税の課税対象として所得税確定申告書に記載しなければならないことを十分知悉し乍ら、該金員が、会社に於てその所得として所轄税務署長に申告しない所謂簿外金から出金されたものであつた為、若し被告人が自己の真実の所得を有の儘に所得税確定申告書に記載すれば累が会社に及び、今後会社から受領し得べき筈のものが受領できなくなる虞れが有り、斯くては会社再建の為に捧げた自己の努力も水泡に帰することを憂え、敢へて真実の所得を隠蔽し、所得金額及び之に相応する所得税額を殊更過少に記載した内容虚偽の所得税確定申告書を所轄税務署長に提出したことが認められ、単に誤算、忘却等の不注意に因り、所得税確定申告書に記載すべき所得の一部を遺脱したのではないから、被告人に所得税逋脱の意図の有つたことは之を否定するに由なく、仮に所論の如く、吉村から受領した原判示各金員が所得税の課税対象には成らないと思料していたとしても、右は法の不知に止まり、所得税脱税罪の故意を阻却する理由とは成り得ず、記録を精査し且当審に於ける事実取調の結果に鑑みても、所論の点に付て原判決に誤認は無く、又被告人の叙上所為が所得税脱税罪の構成要件である「偽り(詐偽)その他不正の行為」に該当することは、既に控訴趣意の一(補充控訴趣意第一点)に対する判断の項、特にその一に於ける説明の通りであるから、原判決には所論判例違反の瑕疵も存せず、論旨は理由が無い。

四、本件犯罪に付ては公訴時効が完成している旨の主張に付て。

所得税法附則第二条に依り本件に適用されるべき同法に依る改正前の所得税法第十条第一項に謂う「収入すべき金額」とは、収入すべき権利の確定した金額を謂うのであつて(昭和四十年九月八日最高裁判所第二小法廷決定、最刑集一九巻六号六三〇頁以下参照)、その確定の時期は、現実に収入の有つた時又は未だ現実に収入が無くても、現実に収入の有るべき時、換言すれば、当該収入を取得する権利を法律上行使することができる様に成つた時であり、この時期を基準にして同条同項の収入金額の年分帰属を定めるべきものと解するのが相当である

(所謂権利確定主義)。

今之を本件に就てみるに、被告人が昭和三十八年中及び同三十九年中に吉村から受領した原判示各金員は、同三十五年一月頃被告人と吉村との間に纒まつた話合に基づくもので、右話合に依れば、吉村は被告人に対し会社の収入金の中から七千万円程度を支給するが、右七千万円と謂う金額は一応の目安であつて、確定額ではなく、而も、今後数年間に亘り毎年会社の売上除外分収入金に対する一定割合を以て算出のうえ支給される為、会社の売上高の多寡に応じて毎年の支給金額、延いては支給期間(支給の終期)が変動し、会社の業績次第に依つては最終的な支給総額が七千万円に達しないことも有り得る旨の諒解が存したことは、既に控訴趣意の二(補充控訴趣意第二点)に対する判断の項の二の(四)及び(五)に於て認定した通りであり、斯る事実関係の下に於ては、被告人が吉村との話合に基づいて支給を受け得べき金銭に付ての債権は、昭和三十五年一月頃の話合成立の時点に於て七千万円と謂う確定した金額の、それもその全額に付て、被告人が法律上之を行使することができる様な状態に成つておらず、右三十五年一月頃、七千万円が、同年中に収入すべき権利の確定した金額であつたとは謂い得ないのである。

然れば、本件公訴提起の年月日は、昭和四十一年五月二十三日であるが、被告人が同三十八年中及び同三十九年中に吉村から受領した原判示各金員が、同三十五年中に被告人の収入すべき権利が確定した七千万円と謂う金額の一部であることを前提とする所論は失当と謂うの他なく、論旨は理由がない。

以上説明した通り、本件各控訴申立理由は凡て採るを得ないが、当裁判所が職権に依り原判決の量刑の当否に関し調査を遂げるに、記録並びに当審に於ける事実取調の結果から窺われる本件犯行の動機、罪質、態様、逋脱した所得税の額、犯行後の情況、特に、先に控訴趣意の二(補充控訴趣意第二点)に対する判断の項の二に説明した原判示第一及び第二各事実掲記の金員を吉村から受領する迄の経緯並びに被告人は本件脱税の事実の摘発を受けるに及び、昭和四十年十月九日及び同四十一年四月二十七日の両度に亘り、同三十八年分及び同三十九年分の各所得金額に付て修正申告を行ない、同三十八年分所得税として計一千一百二十一万八千三百八十円、同三十九年分所得税として計一千四百八十九万九千七百九十円の他、多額の延滞税及び加算税を納付していること並びに被告人の年令、性行、境遇、経歴等を綜合して考察すると、原判決の量刑は、仮令執行猶予付とはいえ、懲役を併科した点に於て過重、不当の嫌が有り、原判決は之を破棄しなければ明らかに正義に反すると認められる。

仍て、刑事訴訟法第三百九十七条第二項に依り原判決を破棄し、同法第四百条但書に則り当裁判所に於て次の通り自判する。

原判決が適法に確定した犯罪事実に法令を適用すると、被告人の原判示第一、第二の各所為は、昭和四十年法律第三十三号(現行所得税法)附則第三十五条に依り、右法律に依る改正前の所得税法(昭和二十二年法律第二十七号)第六十九条第一項、罰金等臨時措置法第二条第一項に該当し、右は刑法第四十五条前段の併合罪であり、各所定刑中罰金を選択し、同法第四十八条第二項に依り各罪の所定罰金の合算額以下に於て被告人を罰金四百万円に処し、右罰金を完納しないときは同法第十八条第一項に依り金弐万円を壱日に換算した期間被告人を労役場に留置し、原審における訴訟費用中証人塩原利武に支給した分は刑事訴訟法第百八十一条第一項本文により之を被告人に負担させることとし、主文のとおり判決する。

検事 古谷菊次 公判出席

(裁判長判事 八島三郎 判事 栗田正 判事 中村憲一郎)

控訴起意書

昭和四五年(う)二九四五号

被告人 池谷嘉三郎

右の者に対する所得税法違反事件の控訴趣意は次のとおりであります。

昭和四六年二月一〇日

弁護人 柴田次郎

東京高等裁判所第八刑事部 御中

まず初めに事実関係を申上げますと、被告人が武相砂利株式会社(以下単に会社と略称します)と関係をもつようになつたのは昭和二七年会社設立の当時、社長吉村武油氏(以下単に吉村氏と略称します)(実質的には会社は吉村氏個人のもので所謂個人会社であります)と別懇の仲でありましたので懇請により被告人は自己の不動産を処分して金員を貸与したのが始まりで昭和三〇年五月会社は倒産し、社長吉村氏は債権者一同に会社処分方の一書を提出し、会社を投げ出してしまつたのでありますが、被告人は債権者のたつての頼みにより、一身を投げ出して会社の再建に当ることになり会社の一切を引受けたのであります。そして被告人は他の債権者の誰一人も出してくれない再建資金を、自己の不動産を初めその他殆んどの財産を処分して、その再建資金をつくり献心努力の結果、今までの会社の借財を全部返し、会社を立派に再建させたのであります。その会社を昭和三五年一月元の社長吉村氏と話合い、被告人は自分が会社の為処分した不動産等の損害金を七千万円と見積り、それだけの金員を会社から受ける約束のもとに、会社の経営とその実権を元の社長吉村氏に返還して、被告人は会社から身を引いたのであります。しかし昭和三五年一月以降も、会社の業務に対して援助はおしまなかつたのですが、法人税申告等の業務には関知せず、被告人は会社とは関係なく、会社の責任者でもなく、別個の存在となつていたのであります。被告人が会社から支払を受けた七千万円の金員は、被告人が自己の不動産等を会社のため処分したので、契約による損害の補償で、その支払を受ける方法として、一定割合の歩合を定めて支払の条件を設けそれに従い会社から金員を受領したのであります。

被告人が会社から支払を受けた金員を所得として、申告しなかつたのは所謂損害の補償であるから、申告しなくてもよいと確信していたからであります。従つて突然国税庁の査察を受けたときも勿論これ等の所得を隠蔽する為と疑いをもたれるようなものは何一つなかつたばかりでなく、進んで帳簿等を提示し、金融機関等へも同道し調査に協力したのであります。ところが国税庁は調査の結果見解の相違から、損金とは認め難いとして、会社再建の報酬である、従つて課税の対象になるということで、被告人は止むを得ず、指示された通り更正申告をすると共に重加算税等も合せて完納したのであります。

その後、これが本件の被告事件として、起訴され一審において有罪となつたものであります。

「被告人としては申告に当り、詐欺その他の不正行為はなかつた」にもかかわらず、犯意があつたと認定されたことは事実の誤認であります。この事実は一審記録を精査されたなら明白になるものと思料致します。

一、原審判決は訴訟手続に法令の違反があつて、その違反が判決に影響を及ぼすことが明らかであります。

訴因又は罰条を変更する場合には、検察官の請求によつて公訴事実と同一性を害しない限度において起訴状に記載された訴因の変更は許されますが、その請求をするには検察官から、その趣旨を記載した書面を提出すると同時に、被告人に対してもその謄本を送達し、通知しなければならないと規定されており、その後の法廷に於て、書面を朗読することを義務づけていますのは、裁判所が勝手に訴因又は罰条を異にした事実を認定することによつて被告人が不当な不利益を受けることを防せぎ、被告人の防禦権の行使を完遂させるためであるとされています。要は重要な法律行為であるから起訴に準ずる手続を要求されているものと解されています。

ところが本件起訴状には、その公訴事実として「第一会社の売上除外分の収入に対する一定割合の金員を受領する等しながら、これら所得を申告せず、第二虚偽の所得税確定申告書を提出する不正行為により脱税を企て」として申告しないことの事実それだけを虚偽の所得税確定申告書と結びつけて、確定申告書に記載しなかつたから虚偽であり、それは詐欺又は不正の行為であるとしているのでありますが、およそ詐欺不正の行為には虚偽の確定申告書を提出するに当り、その事前の工作として何等かの不正の行為があつて一体性をもたらさなければならないのではないかと考えます。只単に確定申告書にのみ記載しないのは、かりに故意であつても過少申告の事実だけであります。それを罰条を改正前の所得税法第六九条違反(詐欺又は不正の行為)として起訴しているのであつて公訴事実と罰条とが該当しないものであります。

そこで原審裁判所は、この公訴事実を勝手に変更して「第一点、被告人の自己の所得となつた金員につき、それが会社において所得として税務署に申告しない、いわゆる簿外金から出金されたものであることを知りながら、第二点、それを記載しないままの内容虚偽の自己の所得税確定申告書を提出し、第三点、もつて不正の行為により」脱税したというように、『不正な簿外金から出金されたものであることを知りながら』と、原審裁判所が勝手に会社と被告人とを結びつけて訴因事実を変更し、単なる所得税の不申告では本件起訴状の該当罰条で被告人を処罰することができないので、被告人が不正の簿外金を会社が支出することを知つていたから、それを申告しないことは、これ又不正だとして被告人に罰条を適用しているものであります。

しかし原審の判示でも、被告人が会社と共謀してとは云つていません。ただいわば情を知つていたと云うような表現をしていますが、仮に被告人がその事実を知つていたとしても、被告人の行為でないものを、被告人の不正行為であるとは云い得ないことは自明の理であります。

右の如く原審判示では法律上の判断という美名の表現の下に、あたかも裁判官の法律上の判断による自由裁量として被告人に有利に判断するため検察官の起訴事実の一部につき「詐欺その他不正の行為により免かれたことを証明するに足る証拠がない」と判示して、なるほど検察官の起訴事実を一部否定し除外しているものでありますが、実質的には全く逆で会社と被告人の行為との関連性に結びつけて訴因の変更をし、判示していながら、被告人に十分な防禦の機会を与えることなく結局は原審裁判所が勝手に訴因事実を変更したことになるもので明らかに法令違反であります。

二、原審判決には事実の誤認があつて、その誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかであります。

1 原審判決が詐欺その他不正の行為として摘示している事項は

<イ> それが会社において所得として管轄税務署に申告しない、いわゆる簿外金から出金されたものであることを知りながら

<ロ> これを記載しないまま内容虚偽の自己の確定申告書を提出しもつて不正の行為により税を免れたという二つの事項でありますが

2 この二つの事項は本件公訴事実全部に関連するものと窺えますが、まず

<イ>の点「それが会社において所得として管轄税務署長に申告しない、いわゆる簿外金から出金されたものであることを知りながら」と云うことは、被告人の行為ではないと云うことをはつきり区別していただきたいのであります。会社と被告人とは別個の存在でありまして、簿外金云々は会社の行為であり、被告人はただ会社から金員を受取る権利を有していたもので簿外金からの支出は会社の行為であり、被告人の行為でないことは明確でありますので、被告人には関係のないことであります。それならば茲で一番問題となるのは「会社が簿外金であることを知りながら」ということで、その間事情を知つていたかということが残された問題であります。

この点の問題について、原審判決では、さきに指摘したとおり裁判所が勝手に訴因を変更して被告人が、会社が簿外金から支出することを知つていたから、それを知つていながら申告しないから不正だとして被告人に脱税の犯意があつたと結びつけているのであります。この勝手な裁判所の訴因変更に対し、法令違反であると、前項で主張しているのであります。故に茲で今少しこの事実関係について考察してみますと、会社が被告人に支払う金の性質がどんな種目の金であろうと、被告人は全く関知するところではないので、会社から被告人が支払を受ける金員が会社が従業員の賃金をピンはねした金であろうと他から借入してきた金であろうと、或は本件のように正規の帳簿に記載しない簿外金であろうと、被告人には関係のないもので、被告人はただ会社から一定の金員の支払いをさえ受ければそれでよかつたのであります。従つて仮に被告人が簿外金であることを知つていたとしても、その簿外金から支出することは不正行為であるといたしましても、それは総て会社の責任であつて、被告人の不正行為であるとは云いえないものであり、被告人を共犯視することはできないものと思います。被告人と会社の行為とを混同して会社の行為を被告人の行為かの如く判断されては全く事実の誤認であります。なるほど被告人はかつて昭和三〇年五月会社再建の為に経営に当り昭和三五年一月見事会社を再建させるとともに会社を社長吉村氏に一切の権限を引渡して以来被告人は会社から身を引いており、その後は只好意的に協力をしていただけのことでありまして、前述のとおり昭和三五年一月以降は会社は社長吉村氏の経営するところとなつたもので被告人とは関係がなくなつていたものであります。

<ロ>の点について「これを記載しないままの内容虚偽の自己の確定申告書を提出し」ということですが、被告人は会社から受領した金員を所得として申告しなかつたことはそのとおりですが、被告人としては申告しなくてもよいという確信から申告しなかつただけのことであります。それは被告人が会社から、以前被告人が会社の為に処分した不動産等の損害金として七千万円を受取ることを約束した、その金員を受取つていたものであり、その所得を被告人が隠蔽するとか、二重帳簿等を作成するとかと云う不正の行為がなかつたことは原審記録によつても明らかな事実であります。ただ前述のようにその所得は申告しなくてもよいものと確信していたので、自己の確定申告書に記載しないで申告したのであります。その事実を内容虚偽という文言で表現し、あたかも被告人が不正行為をし、税の徴収を著しく困難ならしめたかのように、被告人を無理に有罪にするために言葉の修飾上かかる表現をしたものに外ならないのであります。

被告人としては申告しなくてもよいと確信をもち、過去の税納付の経験則からして『損金的な所得』は納税の必要はないという事実を聞き知つていたもので、本件の場合は全くこれに該当するものという確信から申告しなかつたものでありまして脱税をして自己の利欲を満さんとするような考えは毛頭なかつたのであります。もしこの事実を内容虚偽の不正行為と断定されるものであるなれば、納税について申告制度をとつている現況下においては納税者はその全部の者が多かれ少かれ自己に都合のよいように判断をし計算をして確定申告書を提出している実情からして、その記載した確定申告書の内容に、かりに所得の記載洩れがあつた場合、これらの総てが「詐欺その他不正の行為」に該当するという結果になるもので、納税者の殆んどが内容虚偽の詐欺その他の不正の行為をしたということになり、これとは逆に一定の所得があつても全然申告せず確定申告書を提出しなければ単なる不申告ということだけで、申告したものと申告しないものとを差別をつけ、申告した者の方が損をする云の結果になるならば、申告制度そのものの意義が失なわれ申告しないことを奨励することにもなり、申告制度を否定することになります。従つて確定申告書を作成するに当つて、その事前の行為として二重帳簿を作成するとか、何等かの方法で所得を隠蔽するとかという偽計その他の工作をして税の賦課徴収を不能もしくは著しく困難にするような行為がなければならないものと思料しますと同様に「内容虚偽の申告」ということは、所得として申告しなければならないのに故意に何等かの偽計を弄した上で偽りの申告をすることであると思います。

それでなければ単なる過少申告であり、過少申告税犯については、実行行為の認識としてその申告が真実の税額に比し過少である認識があればたり、真実の税額が何程であるかということまで知る必要はないが、その申告洩れの税額中に単純な計算の誤り等により、納税義務の認識を欠く部分があるときは、当該部分は犯意を欠くものとして脱税額から除かれる(田中二郎、租税法、有斐閣、法律学全集三四五頁)とされているのであります。被告人は確定申告書を提出するに当つて、なんらの偽計も弄していません。即ち二重帳簿を作成したとか、所得した金員を秘匿するとか、という行為は事前事後を通じて何一つしていないのみか、進んで所得を明らかにし、所得がある以上申告すべきが当然であると、審理過程においても明言しているのであります。それを検察官はよい事にじて被告人は所得であるので申告すべきだと承知していながら、申告しなかつたとして、あたかも本件の所得を秘匿し申告しなかつたかの如く論告しているのでありますが、事実は全く逆であります。被告人は一般的に申告すべきであると云つているもので、本件の所得は所得であつても申告する必要がないものであると確信していたので申告しなかつたと云つているのであります。

この事実は、被告人の供述の全趣旨として記録の上で明白であります。

三、脱税犯(所得税法二三八条)とは「納税義務者が偽り其の他不正の行為により、租税を免かれることを構成要件とする犯罪である。単純無申告犯(所得税法二四一条)は租税秩序犯で正当な理由がないのに法定の申告期間内に納税申告書を提出しなかつたことを構成要件とする犯罪である。積極的な不正行為を伴わない単純無申告は脱税犯の構成要件に該当しない(最高判昭和三四、七、九、刑集三巻八号一二一三頁)とされています。更に脱税犯における「偽りその他不正の行為と単純不申告との限界は之を限定的に解し、不正の手段が積極的に行なわれた場合に限り、不申告等不作意による場合は、脱税の犯意を伴う場合でも、これを含まないとするのが最高裁判所の判例となつている」(最高判昭和三四、七、九刑集3巻8頁一二一三頁)のであります。ただこの判例が不申告以前に詐欺その他不正の手段が積極的に行なわれることが必要であるとしていますのは、単に申告をしないということだけではなく、その他に偽計其の他の工作が行なわれることを必要とするという趣旨を判旨したものと解すべきであると最近の判例があります。(最高裁、昭四二、一一、八、大法廷判例)「偽りその他不正の行為」に当るかどうかは、右の基準に照し具体的に判断するほかはないが、帳簿書類に虚偽の記入、二重帳簿の作成等は右の不正行為の典型的なものと云えよう。ところで帳簿書類への虚偽の記入、二重帳簿の作成等により、所得を秘匿し、確定申告をしない場合(いわゆる無申告税犯の場合)にはその虚偽記入、二重帳簿の作成等が不正行為に該当することについては異論はないが、このような事前の所得秘匿行為を伴う過少申告の場合は、事前の秘匿行為は単なる準備行為で過少申告のみが脱税犯の実行行為なのか制限説それとも両者が共に実行行為なのか包括説という点については見解が分れる。恐らく制限説を―妥当と考えるべきであろう(田中二郎租税法法律学全集三四四頁)。これを本件の場合と照合してみますと、本件の被告人は、申告しなくともよいという確信のもとに、その所得の一部を申告しなかつたものでありまして、その一部を除外して申告することが判示されている如く内容虚偽の申告ということで「偽り又は不正の行為」に包含されているのであります。それならば若しも被告人が全部の所得を申告しなかつたら単純なる不申告罪となりまして、いわゆる「偽り又は不正の行為」に該当しないという結果になり、言いかえれば所得の一部申告したばつかりに脱税犯となり、全然申告をしなければ不申告ということだけで済むという矛盾を生ずる結果になります。それでは申告をしないことを奨励することとなつてしまい申告制度に逆行する結果となります。

前出の最高裁判所昭四二、一一、八日の大法廷の判決が逋脱犯の構成要件におきまして「詐欺その他不正の行為」の意義について判示していますとおり「所得税、物品税の逋脱罪の構成要件である詐欺その他不正行為とは逋脱の意図をもつて、その手段として税の賦課徴収を不能もしくは著しく困難ならしめるような何等かの偽計其の他の工作を行なうことをいうものと解するを相当とする」として不申告罪の規定の新設後も単純不申告罪は逋脱罪にいう「不正の行為」に含まれないと云う考え方を確認したものであります。

しかし消極的な手段によつて税は免かれるのに(1)法がとくに「詐欺その他不正の行為」という限定的文言を付していることは(2)もともと逋脱犯の構成要件の構造は包括的にすぎ「不正の行為」という概念を厳格に解さなければ構成要件の保障機能が害されるおそれがある。(3)多くの市民が税を免かれる行為をしているから刑事制裁の対象とされた行為が、それに価するだけの社会的常軌を逸脱した悪質な行為であることが納得されなければかえつて「弱いものいじめ」の不満を強めるといつた見地から逋脱犯の構成要件の解釈においても可罰的違法性の思考をとくに重視する必要があります。そこで単に逋脱の意思に基づく行為を全体的、実質的に評価しても、積極的な手段とはいえないものまでも「不正の行為」に含めてしまうことは妥当であるまいとして板倉氏(日大教授)は前出の最高裁大法廷の判決を解説し結論されているものであります。(有斐閣ジユリスト租税判例百選二三八頁逋脱犯の構成要件における「詐欺その他不正の行為」の意義)

四、被告人が本件所得金を申告しなかつたことは事実であります。しかしそれは申告しなくてもよいという確信があつたからであり、それ相当の理由があつたからであります。即ち被告人は社長吉村氏の要請により不動産等を処分してしまつたのでその処分した不動産等を買戻すだけの金員であり、言いかえるなれば被告人の財産は実質的には決して殖えた訳ではなく、不本意に換金されたのであるから所得として考える必要はなく損金であるので申告しなかつたのでその記載内容が虚偽の申告とは思つていなかつたのであります。その間脱税の犯意は毛頭なかつたものであります。

尚此の間の事情を前項でも述べておりますが、いま一言付言いたします。会社が倒産し社長吉村氏は勿論三十有余人の債権者、会社従業員の全部から懇請されたので被告人は犠牲的精神から一身を投げ出し、被告人の全財産を投入し、間違えば莫大な借財を負うことも覚悟上で倒産会社を引受け会社再建に乗り出したのであります。それから被告人の献身的努力のかいがあつて幸にも事業は好転し、会社に対す倒産当時の全債権者にも利息までつけて完済したのであります。その上会社の基盤は強固となり当時の好況からして将来は多大の利益を約束されていたのであり、会社は名実共に被告人のものであることは当時の債権者、山口徳蔵氏、井出秀夫氏の原審に於ける証言でも明白であります。しかし被告人はもともと此の会社は自分のものではなく、社長吉村氏のものであるから如何に被告人の力で盛大になつたからと云つて被告人のものにすべきものではなく会社の為に注ぎ込んだ二千百坪の先祖からの土地等が返つてくるなれば(実際には返つてきませんでした)元の会社の社長吉村氏に返してやるのが人の道であるとの気持(此のことに付き国税庁の調査官は被告人に対し東京にはそんな馬鹿かお人好は一人もいないだろうと云われたそうであります)から昭和三五年一月社長吉村氏に此の旨を伝えたところ涙を流して喜び即座に土地其の他を会社の為に売却させて多大の損害をかけているから一億円を損害金として差上げるから土地其の他買戻資金にしてほしいということでしたが、被告人は当時の地価等より概算して七千万円でよいと申し口頭契約でしたが其の授受をはつきり約束したのであります。被告人と社長吉村氏とは懇意の間であり信頼し合つた間柄でありましたので改めて契約書は作成はしませんでしたが被告人はその時はつきりと七千万円でよいと申し社長吉村氏は勿論喜んで承知しています。その七千万円は被告人が会社のため被告人の不動産等を会社に提供し処分したものを『損害金として補償を受けることにしたもの』であります。このような損害金的性質の所得は納税の対象にはならないと信じていたので、被告人は確定申告書に計上しなかつたのであります。故に今回の国税庁の査察の時もその所得したものは定期預金其の他のものにして居間の金庫に全部ありましたものでその所得をかくすとか二重帳簿を作成したとかという等の不正行為は何一つあつた訳ではなく、むしろ積極的にその所得を明示して調査に協力したものであります。従つてその時の調査官からも「これが事実ならばあなたは全く気の毒である」とさえ云れていたもので全く「詐欺其の他不正の行為」に当るべきことはなかつたのであります。

被告人は積極的には勿論消極的にも不正行為はなかつたのに一体何を不正行為とされているのかというと、それはただ一点所謂「虚偽の申告」を作成したということであります。しかし、この点は再三申上げておりますが、被告人は申告しなくてもよいと確信していたからでありますが、結局はその申告をしなかつたことに犯意があつたかどうかということになるのでありますが、その点検察官は論告して曰く。被告人が昭和四一年五月十八日検察官調書一三頁において『会社が税務署へ申告しない裏の金を分けてもらつているのに自分が正直に申告すれば会社のやつている不正が税務署に判つてしまうので申告したくないという気持があつて申告しなかつたのです』と供述しているから逋脱であるときめつけているのでありますが、この供述は全く被告人の本意に反するものであります。検察官も指摘しているとおり犯意があると認められる供述はこの点でありますが、被告人の供述の真意は検察官が会社は不正の行為をしていると云われるのでそうであろうとしても、会社の不正行為は被告人の関知するところでなく、被告人としても申告しなくてもよいという考えから申告しなかつたものであるということが真実であります。被告人を脱税者ときめこんだ検察官の取調べについては、時に検察官の誘導的な尋問で被告人の真意に反するような表現もありますが、その後の取調べに対する供述、さらに数度に亘る裁判所での公判審理の取調べにおいて、被告人は終始犯意のなかつたことを表明しておりますところからみましても、右の検察官調書の表現は誤りでありまして、被告人自身は脱税の意志はなかつたものであります。被告人が申告しなかつたことは申告しなくてもよいと確信していたからで、もし本件所得が申告の義務があつたとしてもそれは単に申告をしなかつたという不作意だけで積極的に虚偽の申告をしたということにならないものであります。

かかる事実を原審判決は会社の簿外金支出という不正行為と混同し会社の脱税行為とからませてしまい、被告人を有罪にするため言葉の修飾を並べたものに過ぎないもので全く事実の誤認であります。

五、原審の判示は法律上の判断として、昭和三五年一月当時社長吉村氏が被告人に支払うことを約束した金員は確定的金額でなく約七千万円程度という漠然たる額であり、その支払方法も会社の利益の中から定められた割合により支払という支払金額支払回数等の条件も未定で、その成否も将来の条件にかかるものであつて、昭和三五年の被告人の所得として認められるものでないと判示しているのでありますが、原審判決は経験則の事実に違反し、商取引の実情に離反し、社長吉村氏と被告人との友交関係を無視した事実誤認であることは明白であります。

即ち検察官が引用している所得税における「収入すべき権利の確定した金額」(最高裁昭和四〇年九月八日昭和三九年(あ)第二六一号)に対する事案は本件とは全くその確定の時期を異にする権利の発生の事件でありまして引用事例は不動産の売買に伴う解約手付金の授受と所有権移転の時期とが異なる場合で、その解釈においても権利確定主義の一般的通念とは肯馳しているものであります。

本件の場合は、既に物件の変動を了し、その後の解決策について契約を締結したもので、契約の成立は事後処理の問題であります。本件不動産を被告人が会社に提供した時期は昭和二七年でその時期において既に社長吉村氏と被告人の間において後日処理をする予約がなされていたものを昭和三五年一月に至り確約し契約したものでありまして、未確定な事実に基づいてこれから契約を締結しようとしたものではないのであります。此の点が前記引用事例と根本的に相異するものであります。その時金額も社長吉村氏から一億という額が表明され、それを被告が七千万でよいという低い金額であつたので既にその時そのまま確定し、その時支払方法まではつきりと会社の利益金の二割五分と定め(後日話合の上でその割合については変更しましたが)被告人は其の約定どおりに会社から支給を受けていたものであります。

そしてその契約に基づいて約束の金額を受領した後は会社から支払を受けていないのであります。会社からの支払が終了した時期は本件事件の税務官吏の査察を受けた以前の昭和四〇年六月のことで、査察時にはその受領は終了していたものであります。かかる事実からみても、この間の契約がはつきり成立し未確定な契約であつたという原審判示は誤りであります。検察官は社長吉村氏の一〇年も以前の口頭契約の模様をとらえて証言が明確でないとして云々していますが、検察官の取調べの時には検察庁ではこの点の取調べがなされていなかつたのであります。

昭和四五年六月八日公判廷において、社長吉村氏が証言している「坪二万なし三万」という程度の認識から土地の補償金を大体七千万と算定し、社長吉村氏から一億円を被告人に支払うと云い、被告人は七千万でよいと申していたと記憶があるとの証言、その証言を漠然としていると検察官が批難し未確定であつたのだと反論していますが、それこそ被告人と社長吉村氏との懇意の間柄を無視し、現実の取引の実情をわきまえない空論であつて、今でこそ被告人もこうなるものなら立派な契約書を作成しておけばよかつたと悔いている次第で、その時の実情としてはお互に男と男との信頼で結ばれた口約であつてみれば、書類を作成しないのが現実であります。もしこの時書類を作成しなかつたのではつきりした契約がなかつたと云うなれば、なぜ被告人が会社社長吉村氏に莫大な融資をした時に何故書類を作成しなかつたかを、まずはじめに詰問して然るべきではなかつたかと思います。もし税務署が何んらかのきつかけで、被告人の本件所得を知つたと仮定したならば、課税の対象になると解釈され確定した所得として課税されることは明らかなことであります。たまたま未徴収となりましたので自からの手落をごまかすため解釈を曲げているものと思います。証人塩原(国税庁税務官)の昭和四五年七月一七日原審公判における証言で、裁判官の「今日の証言なさるについては大体検察官から具体的事案にお聞きになつての上の証言ですか」との問に「はい伺つて居ります」と云つており、専ら税法上の権利確定の時期に対する解釈について型通り未確定であると思います。未だ『収入すべき権利の確定した金額』とは云えないものと解釈しておりますと繰返していたのでありますが、被告人の弁護人からの最後の問「それでは、先程のように土地のその時の時価の金額をあとで返しましようと会社と土地の提供者が話合つて、その後会社と又その土地の元の所有者との間で会社の支払うべき金額を七千万にしよう、それを一年以内に或は二年以内に返すと云う取決めがあつた場合には収入は何時あつたものと見做しますか」との追及に「それは七千万を何時までにどういう方法で返しましようとはつきり決つておりますと、その契約された時それでよいと思います」とはつきり本件の損害金の取得時期は、その話合の時であると証言しているのであります。

右のとおり検察官側の証人塩原でさえ解釈の上で、被告人と社長吉村氏とが話合つて七千万と取り決めた時点が債権の確定の時であり、その時が収入確定の時点であると言明しているのでありますが、通常税法上の債権の確定の時期は契約締結の時であることは基本的な原則で、税法上所得の基礎となる収入金額(益金)をいずれの年(事業年度)のものとするかについては「権利確定主義」がとられており、この所得税法の規定から所得計算の基礎となる収入金額が現実に収入のあつた金額による(現金主義ないし現実収入主義)のでなく、なん等かの意味で収入すべきことが確定した金額によるべきことは明らかであり、このような考え方を一般に「権利確定主義」とよんで、これが云うまでもなく税法上の原則であり解釈の定則であります。従つて此の一点だけでも国税通則法により債権の消滅時効は五年となつており、公訴時効は三年となつておりますので、本件は起訴前に既に時効により公訴権は消滅していたものであります。

六、原審判決が事実の誤認をしている第一点は、被告人と会社の行為を混同しているということは前項でもふれましたが、被告人が一時ではありますが会社が倒産した時会社の経営に当つたことがあるので混同されているのであります。これはあくまで被告人が会社再建のため被告人の全財産を投げ出し之に当り見事会社を再建させ、再び会社を元の社長吉村氏に返還し被告人は身を引いたという事実関係であります。

此の点を今一度はつきりと認めていただきたいのであります。検察官も被告人に対する論告の中で情状として「被告人は会社の再建にあたり、実質的の経営者の立場となりながら再建のなつた後、元の社長の吉村氏にこれを返還しているという事実もある」としてその功績と人情を賞賛せざるを得なかつた事実があります。しかしその功績の賞賛はともかく、被告人は会社を社長吉村氏に返還したという事実ははつきりと認識していただき、被告人と会社の関係がなくなつた事実を確認されて被告人と会社との関係を混同されないよう申上げるものであります。即ち被告人が会社の経営に関係するに至つたのは、ただ会社再建のために奉仕しただけで、会社が再建されるやそれを元の社長の吉村氏に返還しているのであります。会社を返還後は会社から身を引き、その後は好意的に若干の後援をしていたものの一切の権限は社長吉村氏が行使(毎日の売上から一部を除外してくれと言つて私が経理課長の三宅に指示しました「昭和四一年五月一三日社長吉村の検察官調書の一三項」)し会社経営に当つていたものであります。この事実は昭和四五年六月八日証人として供述した社長吉村氏の証言でも明確であります。

もし万一被告人に脱税までして自己の利欲をむさぼる気持が一寸でもあつたならば被告人が生命までかけて引受けた倒産会社(領置目録七の債権者宛の念書のとおり)の全部は名実共に被告人のものと宣言しても誰一人文句をいうものはなく、然も目の前に大きな利益をあげつつある会社を他の人に渡すこともしないであろうし、又それ以前会社に対する倒産前の債権を各債権者(領置目録八、整理表のとおり)へ利息までつけて全額の支払なぞは考えられないのではないでしようか、又何もすきこのんで会社が簿外金から支出していたと云う金を簿外金は論外としましても一億くれると云うものを七千万でよいという訳もないのではないかと思います。検察官も認めていますように、被告人としては会社を再建させた功績で引続き会社の経営に当り更に充分な利益を得られる立場にあつたのであります。この事実は社長吉村氏も公判廷で言明しており、被告人がよく会社を返還してくれたと感謝していますと証言しているのであります。常識的に考えても被告人が倒産会社を引受け被告人自身の努力にて会社は生き返つたのであるから社長吉村氏には返さないで当時極めて好況であつた会社を引続き経営して堂々と損害金を受取り、尚会社再建の報酬として相当の金員を受領することは当然すぎるほどの被告人の権利であつた訳であります。しかも被告人は前述の社長吉村氏との話合できめた金額の受領が終了した昭和四〇年六月以降は会社からは金員の受領はしていないのであります。国税庁の調査があつたのは昭和四〇年一〇月のことでありまして、右の事実は当時の調査結果でも明確に判明している事実であります。

被告人が会社から受領した金員は、被告人が会社再建に対する報酬金であると誤認され起訴の主体になつているのでありますが、被告人は取調べの当初からその報酬金である点を否認し、被告人が会社に提供した不動産等に対する損害金(会社に提供した不動産等の買戻金)の回収である事実を表明してきたものであつて、それ故に被告人は自己の損失を補償する損害金であつたから申告しなくてもよいと確信していたものであります。被告人の起訴状にある報酬の点は国税庁は会社からは立派な経費であると認め、即ち損金として処理せざるを得なかつたことからみても明らかに被告人が会社から受領した金員を損害金とせず報酬であるとしたのは誤認であると云はなければなりません。被告人が申告しなかつたことは此の一事をみても犯意のなかつたことは判然とするものであると思います。前述もいたしましたが、もし被告人に脱税までして自己の利欲を満足せんとする気持が少しでもあつたと仮定いたしますならば、被告人が引受け更生させた会社の利益は今回起訴された所得の十数倍の数億にもなることはわかつており、それを元の社長吉村氏に返すこともしないで引続いて会社を経営し充分な利益を得て税金を納付しても莫大な利益を得られることぐらい充分わかつていた訳であります。

被告人は国税庁の調査に疑義をもちながらも云われるとおり修正申告をし、税率上の最高の罰則である重加算税延滞加算税その他地方税等を完納したのであります。其の合計額は被告人が起訴された所得金額を越える納税額となつたのであります。

前各項で述べてまいりましたとおり、原判決はその何れの点からみましても事実と相違し、最高裁判所の判断と相反する判断をしておりますし、そして判決に影響を及ぼすべき重大な法令違反が数々ありまして、これを破棄しなければ著しく社会正義に反し罪のない被告人を社会が葬りさることになりますので、真実の発見のため何卒更に慎重審議を願いまして全く脱税の犯意はなく「詐欺其の他不正の行為」が存じない被告人のために無罪の判決をたまわりたくここに本件控訴に及んだ次第であります。

控訴趣意補充書

被告人 池谷嘉三郎

右の者に対する所得税法違反被告事件について、被告人は検察官が昭和四六年四月一四日付提出した答弁書に対し反論するとともに左記のとおり控訴趣意を補充する。

昭和四六年六月二八日

弁護人 柴田次郎

東京高等裁判所第八刑事部 御中

検察官の

第一点 法令違反の主張について

起訴状の訴因は過少申告書を提出して税金を免かれたということである。過少申告書の提出には、単なる過少申告即ち申告しなくてもよいとの認識の下に、申告しないものと、申告をしなければならないのに故意に申告をしない過少申告とがある。後者は逋脱の意思の下に犯意があつて過少申告するものであるから、そこには当然不正の行為があり、その行為として正規の帳簿を秘匿するとか、二重帳簿を作成するとか、所謂所得の隠蔽というような行動が伴ない、それが形の上に表れるから始めて逋脱の犯意があつたものであるという証拠が存在することになるものである。その不正の行為がない限り何をもつて犯意を認定することができるのか。

だからして原判決がその点被告人の過少申告を不正行為の前提として、会社において所得として管轄税務署に申告しない簿外金であることを知りながら、これを記載しない所謂所得を隠蔽するための不正行為である過少申告をしたものとして、訴因を変更し、被告人に逋脱の犯意があつたものと認定した。それを検察官はその用語において多少の相違がみられるにすぎずともに過少申告で、その過少申告が「詐欺その他の不正行為」であると結論し法解釈の誤膠を犯しているものである。

検察官のいう犯意の下に作成された過少申告が逋脱罪を構成しないものとは被告人も言つているものではなく、被告人の言つているのは、単なる過少申告という表現は、申告しなくてもよいという認識の下に申告しなかつたものを言つているもので過少申告の前者に属するものである。故意に申告をしない過少申告でも虚偽申告のほかに、更に二重帳簿の作成、所得の隠蔽等の積極的行為を必要とするとまでは言つているものではないが、通常かかる行為が犯意の表れとして当然加わるであろうと言つているものである。それでない限り何をもつて犯意のある過少申告なりということができようか。犯意を確認するには、その証拠が存在する必要があるものと思料する。

第二点 事実誤認の主張について

一、検察官は、原判決が、被告人は会社から受領した金員は「会社の簿外金から出金されたものであることを知りながら」と説示したのは措辞必ずしも適切とはいいがたいが、と言つているとおり、それは正しく被告人の行為を「詐欺その他不正の行為」として摘示したもので、被告人の過少申告と結びつけて虚偽の申告をしたものに外ならないと認定した。検察官は被告人が申告しなくてもよいとの認識にたつて申告しなかつたものを、被告人は過少申告を犯意をもつて申告しなかつたと認定し、事実誤認を犯しているものである。即ち事実の認定について、その前提を誤つているものである。従つて検察官が引用している被告人が会社から受領した所得を申告しなかつた理由について、検察官に対して述べている一部の供述をもつて犯意があつたときめつけているが、その供述の真意は次のとおりである。

被告人は会社が国税庁の査察を受けた当時被告人としては自分自身が起訴され刑罰を受けるようなことになるとは全く思つてもいなかつたし、査察官も事実そのように申していたので、被告人は査察官の言われるままに誘導的な言葉に迎合したのが検察官が引用されている昭和四一年五月一八日の供述であつて、被告人の真意と反する供述となつているのである。そのことは被告人が、その翌日である同年五月一九日検察官に対し「私は昨年(昭和四〇年)(会社が国税庁の査察を受ける以前)厚木税務署に修正申告書を出し、税金を納付しました。これは自分の取るもの(昭和三五年に社長と約束した土地の値上りによる損害金の七千万をいう)も取れたので修正申告を出したので、三五年に約束した七千万より余分にもらつた分について申告したのです」と供述しているとおり、約束した金員より余分の金員については所得として申告している一事をみても、納税すべきものは申告し、納税しなくてもよいものは申告しないという認識にたつての行為であつて、犯意のなかつたことは十分証明されているところである。即ち被告人としては申告すべき所得があつた以上申告納税しなければならないことを認識し、申告納税制度の実施以来今日まで完全に実行しており、何等誤りはなかつたものである。その被告人の正しい姿勢は公判を通して判然と認め得られるところである。

ところで検察官が引用しているところの郡是製糸株式会社外一名に対する法人税法違反被告事件(昭和三六、七、三〇大阪高裁判決)および株式会社村松愛作商店外一名に対する法人税法違反被告事件(昭和二四、八、一九東京高裁判決)が虚偽申告(過少申告)が逋脱犯における「詐欺その他不正の行為」の典型的なもので、逋脱犯が成立するためには「単なる過少申告」で足り帳簿等への虚偽記入、二重帳簿の作成、所得の隠蔽等の行為は必要としないとして被告人の主張を非難しているが、検察官は引用事案の重要な部分をことさらに省略し、検察官の主張に都合よいように取捨選択しているもので、引用事案の郡是製糸株式会社における場合は「事業年度において相当額のこれを除外した財産目録、貸借対照表、損益計算書を添付して本勘定の所得のみについて所得の申告をすることは、すなわち脱税の認識があつたものと認められるのである」もので、過少申告に伴なう不正行為が存在する。

また株式会社村松愛作商店外一名の引用事案においても「被告会社の業務に関し、法人税を免れる目的を以て、売上金の一部を正規の帳簿に記載せず、これを秘密帳簿に登載したり、或いは売上金を全然帳簿に記載せずに所得を秘匿し」た事案内容を有するものであつて、本件被告人の申告をしなくてもよいという土地の損害金であるとの認識にたつた過少申告とは全く事案内容を異にするものである。なるほどその引用判示の趣旨が虚偽申告が逋脱犯における「詐欺其の他不正の行為」の典型的のものであることについては、被告人としてもあえてこれを否定するものではないが、逋脱する目的をもつての過少申告には、二重帳簿、所得の隠蔽等の行為が多かれ少なかれ必然的に生ずるものであると言つているものであり、被告人の言つている被告人の行為としての過少申告とは虚偽申告ではなく、申告をしなくてもよいという認識にたつた申告のことを指称しているものである。

次に検察官の主張とは全く反対の事案として次の判例があるので参考までに例示しよう。

「逋脱罪の主観的要件たる犯意、すなわち脱税の認識は概括的なるをもつて足り確定的犯意を要しないが‥‥‥常に納税義務の存することの認識を有することが前提となるべきことは当然であるから、ある収益を事実の錯誤によつて課税対象外に属するものと誤解して処理していたような場合は、例え全体として虚偽過少の申告をしたとしても、その分は脱税額に加えるべきでない」(東京地裁昭和三四、一〇、一〇判決)

「益金として計上すべきかどうか。その経理上の性質について相当考察すべき点がある収入金について、経理に精通しない被告人が、これを会社の益金に計上しなかつたとしても、直ちに脱税の意思があつたとは認め難い」(大分地裁昭和二四、六、二八判決)というものがある。

二、検察官は、本件の会社から受領した金は、被告人が会社に対し、後日被告人が会社から返還を受ける約束で提供した土地二、一〇〇坪の損害金の求償でなく、報酬金であると断じているが(国税庁は会社の経理からは報酬金として処理せず、会社の経費、即ち損金として処理を認めている)被告人は前述の昭和四一年五月一九日検察官に対する供述のとおり会社社長と約束した土地の損害金を七千万と確定したので、納税申告をしなかつたものである。それ故にこの申告に関しては何一つ不正の工作はしていないのである。これが被告人が申告をしなかつた事実の真相である。

三、被告人に脱税の意思のなかつたことは、被告人の公判廷における陳述の全趣旨を総合考察されるならば判明するもので、その個々の供述としては若干真意に反した点もないではないが、もし被告人に犯意ありとするならば、そこには前述の秘匿行為が表われなければならないばかりでなく控訴趣意書にも述べたとおり、万一にも被告人が脱税までして自己の利益を追求する者であるなら、倒産した会社を引き受け、その会社の旧債に対する全額返済、更には利益の増大しつつある会社を元の社長吉村氏へ返還する等の善行は考えられない行為である。なお被告人は進んで国税庁の査察調査にも協力し、その総ての所得も明示している。この事実は犯意のなかつたことを表明するものである。それを検察官は「虚偽の申告」或いは「犯意の伴つた過少申告」として処断しているもので全く事実の真相を認識していないものである。

四、時効の点について検察官は本件の約束は確定的金額でなく、一回の支払金額、支払回数、支払の終期などの条件が未定であつたというが、これこそ被告人と会社社長との個人的信頼感を無視し、社会の実情に副わぬ空論であり、しかも税法上の基本原則である「権利確定主義」を故意に否定した以外の何ものでもない。金額は七千万円、一回の支払いは会社の利益の二割五分、支払い回数は毎月末、支払いの終期は前記金額の終了時点、これだけの条件を確定し、これを実行したのであるから、被告人に対する権利は一定の条件で確定していたものである。それにもかかわらず検察官が債権債分が確定していないと言うことは被告人の納得しえないものである。

右各項目について述べてきたとおり、検察官の答弁は事実に対する答弁として認容でき得ないものであるから被告人はこれに反論し、ここに控訴趣意を補充するものである。

以上

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